それもまたよし!

思いつくまま 気の向くまま のんきに綴ります

正しいことって?

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職場でモヤモヤすることがあって、こんなフレーズが浮かんできた。

「心の広い人と出会うと、こちらもおおらかになれる。せこいやつと接すると、こちらの心も荒んでくる。気をつけないと。」

 

自分もそんな大した人間じゃない。

いつも思いやりを持って人と接しているわけじゃない。

誰もが自分のことが一番大事だ。

だから無意識の言動で、相手に不快感を与えていることがあるかもしれない。

逆に相手のことを思って、良かれと思ってやったことも、実は嫌がられていたりすることがあるかもしれない。

より良く生きたいと思っているが、その“良い”も、本当に正しいものなのか。

 

「ものごとはジャッジしない方がよい」と言われる。

立場によって、状況によって正義は変わってしまうからだ。

出来事に関しては、まだ、ただの現象だとして割り切ることもできるだろう。

しかし、対ひとに関してはなかなか難しい。

好き嫌いや今までの関わり合いで様々な感情を抱いている。

ただ、陰で悪口言って終わり…なんてことにもなりかねない。

 

「人の振り見て我が振りなおせ」という諺があるが、

これは、人をジャッジするということではない。

他人の言動から自分を振り返るということだ。

自分はどうするか?ということだ。

 

「自分はどうするか?」 にたどり着くまでに、「何だ?こいつ…」とずっと頭の中でモヤモヤしてる俺も、せこいやつ、小さいやつだなぁと思ってしまった。

 

他人に嫌われることが怖くておとなしくするより、たとえ嫌われても自分のことしか考えてないやつの方が、実は幸せだったりして…。

自分を守るという意味では正しいことなのかな…。

いったい、正しいことって?

 

こんなこと考えていられるなんて、他に悩み事が無いからか… 実は幸せな証拠か…。

 暇か!? (^o^)

 

最後までお読みいただきありがとうございます(^-^)

 

 

『賢者の習慣』

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『アーノルド・べネットの賢者の習慣』より

 

『内なる声は、絶え間なくこう責め立てる

「意気地無し。お前は勇気がなかった。人生から逃げたのだ。」

もちろんこの声は、他人には聞こえない。しかし、どうがんばってみても黙らせることができない。

だから、最後になって、この恐ろしい内なる評決が下るのを聞かなければならないと思えば、世間でいう意味で不幸な一生を送るほうが、よほど「幸福」とも言えるのである。』

 

これを読んだとき、頭をどつかれたような気分になった。

今まで自分なりにいろいろなことに挑戦してきた。

それなりに手に入れたものもある。

しかし、とことんまでやってきたのか?

勇気が出せず、尻込みしたこともしたこともいっぱいあったのではないか?

自分の正直な気持ちはどうなのか?

 

いい歳になって、こんなことに頭を悩ますのもどうかと思うが、アラフィフを越えて人生の先が見えてきたこの歳だからこそ、考えてしまうのだ。

 

『私がいいたいのは、立派な仕事にせよ、つまらない仕事にせよ、人は仕事に逃げ場を求めようとするが、人生に対する最大の罪は、人生から逃避しようとすることだということである。もし、この罪を犯せば、唯一の本物の幸福を逃してしまうことになるといいたいのだ。この本物の幸福は、単なる快楽からも、また、満足感と諦観からも得られはしない。善悪の判断力は、悪い行いだけでなく、善い行いによっても麻痺してしまうことがあるということだ。』

( 諦観:本質をはっきりと見極めること。あきらめ、悟って超然とすること。)

 

さらにこう続く。

 

楽で平坦な道が、実は険しい道であり、あえて挑まなかった荒れた道こそ、厳しいにもかかわらず、本当は歩きやすい道だったかもしれない、と気づく。本当の生き方がわからなくなり、たえず苦しい後悔にさいなまれる。』

 

誰しも心当たりがあるかもしれない。

 

『私の考えでは、幸福とは、まず「精いっぱい、ひたむきな努力をした後に得られる満足」を指す。誰しもミスをしたり、あるいは重大な過失を犯したりした経験はあるものだ。こうした失敗について考えると、晩年にはたとえわずかにせよ、暗い影が投げかけられるにちがいない。しかし、だからといって、満足が味わえなくなるとはかぎらない。死ぬ間際になると「私は馬鹿な真似をしてしまった」と認めざるをえないとしても、みな、それでも結構幸せなのだ。

 一方、もう二度とないような局面で、人生が突きつけてきた重大な挑戦に応じなかったと後悔しているならば、けっして満足できないし、それゆえ、私の考える意味で、「幸福」とはいえない。』

 

この後、冒頭の文章が続く。

 

長々と引用してしまったが、人生を諦めるにはまだ早い気がして…

最後の悪あがきしてみようか… と思う今日この頃です。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました(^^)

 

 

 

 

それはそれとして、とりあえずやってみる

ある日の日記から。

 

老眼に膝の痛み、だるさ、乾燥肌、頭の回転もにぶくなってるみたい。

老化と更年期だとあきらめているが、すべてのことにおいて、うまくいかない気がする。

「50代のクライシス」というブログ記事を書いたが、自分自身でうまく処理できてるとは思わない。

なんとか毎日を生きているという感じだ。

ただただ、休日だけを楽しみに生きてる。

かといって何かわくわくする予定があるわけでもない。

映画やDVDも昔ほどわくわくしない。

まじめに考えようとすると、老後の不安ばかりが漠然と浮かんできて、また落ち込む。

「なんとかしないと…」とあせる気持ちを、振り払うのに必死。

「こんな時こそゆったりと構えろ…」なんて、頭では思いつくがそんなにうまく処理できない。

まわりの目ばかり気になって、人の機嫌に振りまわされて、悪循環に陥ってる。

悪循環… 陥ってる… この漢字、日記に何度も書いてるのに、またスマホで調べてる… 

と笑ってしまった。

先のこと、お金のこと、考えると憂鬱になるが、今考えても仕方のないこと。

どんな時でも、今出来ることをするのだ。

 

今年のモットーはそう決めたはず。

『出来ることをやる』『やりたくないことはやらない』

 

最近『「繊細さん」の本』を読んで、改めてそう感じた。

素の自分でいいのだ。そのままでいいのだ。

“がんばる”はやっぱり必要のない言葉だ。

それが好きな人はがんばったらいい。

しかしそれは、がんばっているということではなく、出来ることをしているにすぎない。

無理しているわけではなく、出来るか出来ないかわらないが、やってみる…というだけのことだ。

本にもあった。「とりあえず」やってみる。

それくらいでいいのだ。

「何としてもやらなければ…」と必死にならなければいけない時もあるだろう。

でも、そんなことは希だ。

基本的スタンスは、「出来ることをやる」でいい。

「やりたくないことはやらない」でいい。

苦手なことをがんばってやる必要はない。全くない。

ネガティブな気分になるのは仕方がない。もうあきらめろ!

 

「それはそれとして、とりあえずやってみる」

これでいい。

 

 

毎日、こんなこと書いて自分を奮い起たせています( ̄∇ ̄*)ゞ

 

 

 

 

 

 

50代からのクライシス

50歳をすぎて、心と体にいろいろな変化が表れてきた。

男性にも更年期があると言われるが、まさにそんな状態だ。

個人的には、職場の異動があり、さらにストレスがかかっていた。

もともと仕事ができるほうではない。

思ったように業務が進まず、「こんなはずじゃ…」と。

まわりからもポンコツ扱い、かなり落ち込んだ。

 

そんな時に出会ったのがこの本。

 

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自衛隊メンタル教官が教える・50代から心を整える技術』

著者の下園壮太氏は、陸上自衛隊初の心理教官を務め、自衛隊の衛生隊員などにメンタルヘルス、コンバットストレス(惨事ストレス)対策を教育。「自殺・事故のアフターケアチーム」のメンバーとして約300件以上の自殺や事故に関わる。自身も56歳で自衛隊を定年退官し、現在はメンタルレスキュー協会でクライシスカウンセリングを広めつつ、講演などを実施している。

 

彼によると、50代が直面する3つの変化 があるという。

 

1、地頭・地こころが低下する

 記憶力の低下は「自信の喪失」と強く関わるので、気持ちが沈む原因となる

2、新たなことへのチャレンジ意欲が低下する

 これまでのやり方でなんとか生きてこれたのだから、わざわざリスクの大きい「変化」を選択する必要はないとあなたの本能が判断する

3、ストレス耐性が低下する

 エネルギーそのものが低下しているので怒りを抑制できなくなり、怒りに乗っ取られやすくなる

 

生き方は急には変えられない。

だからこのことをしっかり認識し、「10年かけてハンドルを切る準備」をするということなのだ。

 

個人的にすごく共感できたこと、それは

 

 “価値観ほぐし” 

 

年齢を重ねるにしたがって「できるはずだったのに、十分にできなくなる」出来事が増えてくる。

誰だって落ち込む。

「落ち込む自分を認めながらも、もう一つの考え方をプラスしていく」

ということ。

自信は、向き合う「課題」と「自己イメージ」のギャップから生まれ、そのギャップが大きくなるほど人は自信をなくす。

自己イメージは、あくまでも自分が作り出したイメージ。そのときどきの状況や条件によって大きくなったりしぼんだりする。実体とはかけはなれているもの。

価値観をほぐせば、その自信が揺らがなくなる。

 

私たちは、どうしても「表に出てきている問題」を直接修正しようとする。

しかし、自信や価値観が適切であれば、表面的な問題が「問題でなくなる」ことが多いのだ。

目には見えないけれど、とても大切なのが価値観。

 

価値観は「人というもの」をどう理解するか…というものさしでもある。

人はそもそもいろいろで、複雑にできている。

それを理解するために、下園氏は次の12の特徴を挙げている。

 

『人の心の12の特徴』

  • 人は一貫しないもの
  • 感情や欲求はなくせない
  • 人はそれぞれ、正義もそれぞれ
  • 人はなかなか変わらない、成長しない
  • でも、人は変われる
  • 人の言動、反応にはそれなりの理由がある
  • 人は物語を見つけ、安心したい
  • 人はエネルギーを使いたくない(怠けたい)もの
  • 人間関係のトラブルは当たり前に起こる
  • 人は他人をコントロールしたがる
  • 人は自分を責めやすい
  • 人は過去の記憶と将来の不安にとらわれやすい

 

下園氏曰く、

「これが人間の本質であり、等身大の姿。ナチュラルな姿の人間には、えげつない部分がいっぱいある。だから、“努力目標”としての教えがつくられてきた。“一貫しなければいけない” “皆と仲良くすべき” “怠けてはいけない” など。」

「小さい頃から叩き込まれてきたので、そのうち多くの人が “それが人間” と勘違いしてしまった。その勘違いの目で、現実の人間を見ると、その行動はあまりにもひどいと感じてしまう。」

「自分の行動を振り返って自己嫌悪に陥るし、人の言動に対しても怒りを感じやすくなる。」

 

何もこれは50代に限った話ではない。

「定年後」は「うつからのリハビリ」と共通点が多いらしい。

どちらも、

  • 環境がリセットされる
  • 自分を含めた状況がどんどん変化するので、これまでとは違う目標の立て方が必要になる
  • 簡単じゃない

ということらしい。

これは、年齢に関係なく誰もが遭遇する可能性がある。

それを知ることによって、少しでも楽に生きれたら幸いである。

 

この本には他にも興味深い内容がいっぱいだ。

是非、読んでみてほしい。

 

最後までお読みいただきありがとうございます^_^;

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の修行とは?

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人生の修行をするために、特別な場所へ行く必要はない。

日々、目の前のことを淡々とこなすだけでも充分だ。

一生懸命生きなければならない…

真剣に取り組まなければならない…

そんな必要はない。

修行が尊いわけじゃない。苦しいこと、苦労がすばらしいわけじゃない。学ぶこと、反省することが正しいわけじゃない。

感じること、味わうことが尊いのだ。

ただ生きて、感じて考えて…それ自体が立派な修行だ。

何かを得なければならない、価値のあるものにしなければならない…、それは本質ではない。

たとえ、わからなくても気がつかなくても、本質はそこにある、真理は変わらずそこにある。

それを見つけられればラッキー。見つからなくて、そこに身を置き味わっただけでも価値があるのだ。。

いや、価値があるのではない!

あるとかないとか、そういう概念も必要ないのだ。

ただ生きて、感じて考えて…それだけでいいのだ。

人生は修行の場じゃない。

 

“遊戯三昧”(ゆげざんまい)という言葉がある。

意味は、

『なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。
または、嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと。
「遊戯」は仏教の言葉で、仏や菩薩、悟りを開いた修行者がなにものにもとらわれることなく、思いのままに振る舞うこと。
「三昧」は一つのことに夢中になること。』

         四字熟語オンラインより

 

人間の自分には、苦しい辛い悲しい…いろいろあるけれど、魂の自分はそれをただ味わって楽しんでいるのかも知れない。

魂にとっては、この世界は単なる遊び場所。ただただ無心で遊んでいるのかも知れない。

そんな境地にはなかなかなれないが、方法は一つだけある。

ただ、生きていればいい。

修行も必要ない。

学びも必要ない。

価値を求める必要もない。

目的も意味も必要ない。

ただ、生きていればいいのだ。

人間の自分にはわからないことだらけ。でも、魂の自分が楽しく遊んでいるのなら、

大丈夫だ!

 

最後までお読みいただきありがとうございます(^.^)

 

気にしない

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全く気にすることはない。

まわりに迷惑をかけて生きるのが人生というものだ。

感謝すればいい。

自分を責める必要はない。
出来る出来ない、早い遅い、他人の評価、そんな見えるものだけに囚われるな。

世間はとやかく言う。見た目は確かに大切だ。しかしフォーカスする所を誤れば、何も見ていないのと同じ。

ひとつに集中すれば、他のものは見えなくなるもの。

かく言う自分も何も見えていない。

偏見、先入観のかたまりだ。

それでも、本質を見ようとする気持ちだけは持ちたい。

偏見、先入観に満ちあふれているから、こんなこと思うんだろうな…  (´Д` )

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

いつまでそれを続けるの?

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人それぞれでいいのだ。

まわりの人間や世間一般と自分を比べて、劣等感を感じるのは、いちばんやってはいけないこと。精神疾患へまっしぐらだ。

そこまでいかなくても、気分の落ち込み、体調不良、さらには人間関係の悪化…悪循環…、いいことは何もない。

ここは日本だから…会社員だから…は、自分で自分の首を絞めているようなもの。

今一度、本質に戻ってみよう。

出世したいの? 肩書きが欲しいの? お金が欲しいの? 人から尊敬されたいの? 嫌なことをずっと続けたいの? 

自分が本当に欲しいものは? 本当に感じたいことは?

人と比べていい気分になりたいの? 優越感が欲しいの? そんなに苦しむなんて…劣等感が好きなの? 競争したいの? 

いつまでそれを続けるの?

人と比べている限り、絶対に幸せにはなれない。

幸せとは、自分の外の状況ではなく心の中のこと。

人からの評価や、目に見えるものではなく、自分の心の中で感じるものだ。

唯一、自分でコントロールできる場所は心の中だけ。

その心の中で自分で選ぶものだ。

何があろうと、誰が何と言おうと、心の中ではいい気分を選ぶのだ!

 

最後までお読みいただきありがとうございます(^.^)