人生の修行をするために、特別な場所へ行く必要はない。
日々、目の前のことを淡々とこなすだけでも充分だ。
一生懸命生きなければならない…
真剣に取り組まなければならない…
そんな必要はない。
修行が尊いわけじゃない。苦しいこと、苦労がすばらしいわけじゃない。学ぶこと、反省することが正しいわけじゃない。
感じること、味わうことが尊いのだ。
ただ生きて、感じて考えて…それ自体が立派な修行だ。
何かを得なければならない、価値のあるものにしなければならない…、それは本質ではない。
たとえ、わからなくても気がつかなくても、本質はそこにある、真理は変わらずそこにある。
それを見つけられればラッキー。見つからなくて、そこに身を置き味わっただけでも価値があるのだ。。
いや、価値があるのではない!
あるとかないとか、そういう概念も必要ないのだ。
ただ生きて、感じて考えて…それだけでいいのだ。
人生は修行の場じゃない。
“遊戯三昧”(ゆげざんまい)という言葉がある。
意味は、
『なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。
または、嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと。
「遊戯」は仏教の言葉で、仏や菩薩、悟りを開いた修行者がなにものにもとらわれることなく、思いのままに振る舞うこと。
「三昧」は一つのことに夢中になること。』
四字熟語オンラインより
人間の自分には、苦しい辛い悲しい…いろいろあるけれど、魂の自分はそれをただ味わって楽しんでいるのかも知れない。
魂にとっては、この世界は単なる遊び場所。ただただ無心で遊んでいるのかも知れない。
そんな境地にはなかなかなれないが、方法は一つだけある。
ただ、生きていればいい。
修行も必要ない。
学びも必要ない。
価値を求める必要もない。
目的も意味も必要ない。
ただ、生きていればいいのだ。
人間の自分にはわからないことだらけ。でも、魂の自分が楽しく遊んでいるのなら、
大丈夫だ!
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