それもまたよし!

思いつくまま 気の向くまま のんきに綴ります

理由なんて無い!

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どんな時でも平常心でいるというのは、なかなか難しいことだ。

常に精神が安定しているなんてありえない。

何も無いいい気分の時なら、平常心を保てるだろう。

しかし、疲れていたり、気になる事があったり、どこか具合が悪かったり、誰かの一言にムカついたり…(それは、それ以前の違う理由があるのだろうが…)イライラがおさまらないことも多い。

理由と言っても、どれもこれも大したことないものばかり。

いい気分なら、上機嫌なら気にならないような事だ。

 

内容に関係なく、重要度に関係なく、心に引っかかってしまうのは、自分自身が今、不機嫌だという証拠だ。

体調や周りの状況によって、不機嫌になっているのだろうが、もともとそういう原因というものは存在しない。それを原因だと決めつけて納得して安心したいだけなのだ。

とりあえず、原因を見つけて安心したら、機嫌を取り戻したらいい。

不機嫌になる理由は、本当は必要ない。

「理由はわかった。じゃもう手放して、今ここから機嫌よくなろう!」

が、ひとつの方法だ。

 

特に気をつけないといけないのは、他人を不機嫌の理由にしてしまうことだ。

自分は正しい、相手が間違っている…、この思考パターンにはまってしまうと、なかなか抜け出せない。

無意識に、相手の間違っていると思われるところを考えて、論(あげつら)ってしまう。

無意識に、自分は正しい…という根拠を探してしまう。

同じネガティブ思考(相手を悪く思う)を延々と繰り返してしまう。これは本当にエネルギーの無駄だ。

他人のことを悪く思うのは、言い過ぎを覚悟で言えば、人間の尊厳を踏みにじることだ。そしてそれは、全て自分に返ってくる。

人間の尊厳を大事にしないのは、自分を大事にしないのと同じことだからだ。

 

苦しんで、悩んで… 思い出して…失敗して、また思い出して…。

それを繰り返して生きることが唯一の正解なんだろう。

それが人生の醍醐味なんだろう。

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^^)

 

あまのじゃくで行こう!

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この世界はパラドックス(逆説)に満ちあふれている。

真実だと思っていたこと、正しいと考えていたことが、実は間違っていた…なんてよくあること。

単なる思い違いではなく、ある考えに執着しているから真実が見えなくなっている、ということもあるのだ。

例えば、周りから尊敬されている人は、本人は「尊敬されたい!」なんて全く思ってなかったり…、人をバカにする言動をとる人は周りからバカにされていたり…、手に入らないものほど無性に欲しくなったり…、可愛さあまって憎さ百倍なんてことも…。

全て同じレベルで考えることはできないが、実は逆も正しかった!ってこともよくあるのだ。

「逆もまた然り(しかり)」である。

だから、人生を楽しむためには、逆の視点というものを持っておいた方がいい。

そこから、心の余裕が生まれる。遊び心が生まれる。心が楽になる。新しい発想も生まれるかもしれない。少なくとも心が壊れることはなくなる。

「同じことばっかり考えてるなぁ…」 「考えるのしんどいなぁ…苦しいな…」

と気づいたときに思い出してほしい

「逆もまた然り!」

いったん離れて、反対側からながめてみたら…?

 

本当に苦しいときはそんな余裕無いって…?

だから普段から練習しておくのだ。

にっちもさっちもいかなくなってからではなく、常に逆に考えてみたら?と遊ぶのだ。

ある意見や考えに、いい意味で「でも…」と反論してみるのだ。心の中だけでいい。

もし、ネガティブな感情だったりしたら、「あ~いやだ!いやだ!」と充分味わって、

「はあぁ~~!」と思いっきりため息をついて、「は~ まあ、でも…ナントカカントカ…」

と反対の目線になってみること。少しづつでいい、少しづつクセをつけるのだ。

 

心が壊れないために、人生を思う存分楽しむために、何があっても幸せな気分で生きるために…

あまのじゃくで行こう!

 

最後までお読みいただきありがとうございました(^J^)

“壮大な実験”パート2

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以前、「人生における壮大な実験」という記事を書いた。

さらに、それに続く実験を思いついた。

 

実験パート2!

自分にはネガティブ思考になるクセがある。それを完全に手放すのだ。

ネガティブな思考や感情に気づいたら、即手放すのだ。もっと言えば、どんな感情にも執着しない。いいことも悪いことも考えすぎないということ。

 

実験パート3!

過去の経験や年齢に関係なく、全く新しいことを始めたら、いったいどうなるか?

全ては、「今ここから始まる」と考えてみたら?

 

そして、実験パート4!

もし、全く何の制限も無いと考えてみたら?

コーチングなんかでもよく聞くやつだ。

「実は、何の制限も無かったんだ!」とどこまで思い込めるか?

今までの思い込みを、どこまでリセットできるか?

 


これは実験という名のミッションステートメントだ。

 


もっとシンプルな言葉で言い換えてみよう。

 


「許す・認める」

「手放す」

「今ここから」

「本当は何の制限も無い」

 


これらの言葉を、常に目のつくところへ置くのだ。

呪文のようにいつも口ずさむのだ。

さあこの先、人生はどう変わるだろう⁈

 

 

誰もが思いつく簡単な方法。

簡単すぎて効果もほとんど無いかも知れない。

でも、シンプルなものこそが本当の答えなのかも知れない。

 


「解決策がシンプルな時、それは神の答えである」      

                  アルベルト・アインシュタイン

 

今回は、全く個人的な日記である(>_<)

最後までお読みいただきありがとうございます(^-^)

“逃げるが勝ち”

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一度始めたことは最後までやり通さなければいけない…

逃げずに最後まで頑張らなければならない…

なんて、まさか考えてないだろうね?

本当にそれ、やらなければならないの?

逃げたらだめなの?

誰かが言ってるから?

親が言ってるから?

世間の常識?

大人の常識?

「あきらめるな!」「がんばれ!」(>_<)

 

ちょっと待って!!

 

本当は倒れる寸前じゃないのか?

壊れる寸前じゃないのか?

 

もっと自分を大切にしていいんだよ。

自分に優しくしていいんだよ。

甘やかしていいんだよ。

 

そんなに苦しいのは、その逆をしてるから。

まず、自分のことを考えていいんだよ。

 

今まで散々言われてきた。

「人に優しくしなさい」

「人の立場に立って考えなさい」

「自分に厳しく…」

いやいや…

自分を“ないがしろ”にして、その先の人生まともに歩けるわけないだろ⁉︎

 

人目が気になる…

何て言われるか…

そこは、ほんの少し勇気を出して‼︎

 

まずは自分優先‼︎

自分を大切にして、初めてまわりの人に優しくできる。

とにかく、まず自分に優しくしてみよう。

そのためには、逃げたっていいのだ!

自分を守れるのは自分だけ。

「危ない!」と思ったら、一目散に逃げるのだ!

 

最後までお読み いただきありがとうございます(^o^)

 

この世界はすべて正しい

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この世界に正解なんて無いのかもしれない。

いや、正解はいっぱいあるんだ!

ひとつではない、ということなんだ!

あえてどうしても、正解を見つけたいとも思うのなら、その時その瞬間に感じ行動したことが、唯一の正解だと言える。

その時、それが正しいと思ったら、それはその時点での正解。

それだけは間違いない。それが真理だ。

 

悩みながらでも行動する… あるいは何もせず悩み続ける…。悩まない時は「正解は?」なんて意識しないもの。

悩んでる時は、そのことが、そのまま正しいことだと思えばいい。

悩むこと自体が正解。

だから、その結果出した答えはどれも、どんなものであっても、正しいことなんだ。

 

悩んだあげく、

出した答が間違っていた⁉︎

失敗した‼︎

嫌な目に遭った‼︎

辛い(つらい)ことは、辛い(からい)ものだと思え!

それは、人生のスパイスだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^-^)

才能とは“没頭力”

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「才能があるか?無いか?」の議論はバカげている。

それは、他人からの評価でしかないからだ。

人が、「あの人は才能がある」という時は、相対評価で見ている。

人より抜きん出ているということで、そういう表現をするが、

では、人より抜きん出ていることしか認められないんだろうか?

人並みでは、認められないんだろうか?

才能が無いと思われることや、人並みに出来ないことでも、

本人が嬉々としてやっているならば、それでいいのではないだろうか?

うまくいってない人を見て、

「才能ないよなぁ…」

「違うことやればいいのに…」

と言う場合があるが、

もし本人が楽しんでそれをやってるのであれば、

それは、本人に向いているということなのだ。

その時の“才能”とは“楽しむ”ということなのだ。

向いているいないに関わらず、

“物事を楽しむ”という才能なのだ。

 

仕事につながること、お金になること、

生産性がある、目に見える特別な能力…

そういう捉え方をすると、

「自分には才能が無いのだ…」

と落ち込むことになる。

才能とはもっと広い意味で捉えた方がいい。

相対的な意味だけではない。

大人になると。いろいろ余計なことを考えて、

本質が見えなくなる。

子供を見てみろ。

必死で遊んでいる。

ひたすら走っている子。

ずっと砂遊びをしている子。

絵ばっかり描いてる子。

そう、何かに集中すること、没頭することが

すばらしい才能そのものなんだ。

そこには、お金も人からの評価も必要ない。

どんなくだらないことでもいい、

楽しいと思えるものに没頭し、

それを続ける力こそ、才能そのものなんだ。

 

誰にでも備わっている能力、

“没頭力”

それが、才能だ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

人生における“壮大な実験”

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たとえ何をしでかしても、どんな失敗をしても、

常に自分を許し、認め、絶対に自分を責めない!

それを続けることで人生がどう変わっていくか…

壮大な実験をしてみよう!

 

反省する、深く考える、人を思いやる、相手の立場に立って考える… などなど、

一般的に常識や道徳と言われること、より良く生きるための考え方はいろいろある。

そんなものは、この際忘れてしまえ!

それよりももっと大事なもの…

この壮大な実験の意味を理解するために、忘れてはいけないこと…

それは、自分も他人も平等だということだ。

自分を許すのと同じように他人を許すこと。

自分を認めるのと同じように他人を認めること。

不都合や不利なことを他人のせい、または自分以外に原因があると考えている限り、何も変わらない。

自分を責めないとは、人のせいにすることではない。

それが、自尊心を持つということだ。

 

そしてこの実験の。本当の意味とは?

それは

 

“今を生きる”ということだ!

 

原因を追究しないこと。

原因や理由を追及することは、過去を見るということだ。

今、目の前のことを見ていないのだ。

目の前を見ずに時間が流れ、そして見れなかったものをまた、過去に探そうとする…

その繰り返し…

 

それを断ち切るのだ! 今を生きるのだ!

 

何があっても、自分を許す、認める、責めない、

反省なんかしない!

何としても、今を生きるのだ!

 

さあ、どうなるか? 実験のスタートだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^o^)