それもまたよし!

思いつくまま 気の向くまま のんきに綴ります

『手書き瞑想』Writing Meditation とは?

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もうかれこれ30年前… 20代の頃から日記を書き始めました。

日記といっても、出来事を書くのではなく、考えたこと思ったことを書くのです。

嬉しかったことも、嫌だったことも、寝る前に書くのを日課にしていました。

どうしても悩み事を書くことが多かったのですが、最後は前向きに書き終わるように心がけていました。

 

始めた理由は、将来作家になるため(笑)文章を書く練習… 

そして、有名になった時の「若い頃は、こんなんでした…。」というドキュメンタリー番組の資料として(笑)… なんて…今、普通のサラリーマンですけど (^_^;)

 

その頃は、毎晩前日の日記を読み返しては「自分ひとり会議」のようなことをしていました。

その頃ファンだった浜田省吾のライブツアー名を真似て、

“ON THE ROAD 1990”と日記の表紙に書いたりして、自分の中ではとても重要な人生アイテムのひとつでした。

自分なりの人生最大の決断をした時も、この日記の後押しがあったからだと思っています。

 

家族を持って忙しくなったときは、数週間に一回くらい…と、ほとんど書かないこともありましたが、一応“ON THE ROAD”は現在も続いています。

 

ただ、少し趣きが変わってきました。

若い頃は、夢の実現のため、人間性向上のため、そんな意識がどこかにありました。

今は、何か雑念を振り払うような…そんな気分です。

考えを整理する、確認する、というのではなく、書いてるうちに何かに気づく…ひらめく…そんな感じです。

 

あまり深く思考せずに、流れるままにペンを進めていると、本当に希にですが、何かが湧き出てくることがあるのです。

それは、他人からしたら、大したことじゃないかも知れませんが、自分にとっては、己を信頼し、己を取り戻す、かけがえのない瞬間なのです。

 

ただ思考を流れるままにし、手で書くこと自体に没頭すると、とてもいい気分になります。

そこから、何かに気づけばラッキー。

何も無くても、気持ちいい時間を過ごせたから幸せ。それが今の正直な気持ちです。

実は最近、昔使っていた万年筆を復活させました。

さらに、安くて書きやすい万年筆も新たに購入し、書き味を楽しむことも始めました。

書く内容より、ただサラサラ気持ちよく字を書きたい… ただただ没頭する…。

もうこれは、自分にとっては、瞑想です。そこで

『手書き瞑想』Writing Meditation

と名付けました!

 

気持ちいい筆記具で、書きやすい紙(ノート)に、思う存分文章を書き続ける。

内容を読み返すことをしないから、少々文体を間違えても気にせず、流れるままに書く… 

それが本当に気持ちいいのです。

 

自分にとって、時間を忘れて没頭できること… 

それは内容は何であれ、瞑想と同じ効果があるはずです。

 

瞑想とは?

時間を超越すること、思考を超越すること、

であるならば、定義なんて必要ないのかも知れません。

リラックス状態は、人によってそれぞれ。

本人が本当にリラックスしていれば姿勢や形さえも無意味になってしまいます。

時間も、思考も、形も、言葉も… 定義も何も要りません。

ただ、没頭することです。

 

さあ、みなさんも自分なりの方法で!

それもまたよし!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^_^)

後悔することってある?

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やってしまったこと、やらなかったこと…

あの時、こうしてれば… 

なんて、後悔はいくらでも思いつきます。

逆に、あの時楽しかったなぁ!と、思い出話をしてる時は、

後悔なんて浮かんできません。

人生、いろんなことがあって当たり前。

でも今現在、なんとか生きてりゃ、それでいいんです。

 

今を生きろ!

とよく言われます。

今を大切に! 目の前のことに集中しなさい!

過去を悔まず、未来を思い煩わず、今を生きる… なんて頭ではわかっています。

でもやっぱり、いろいろ考えてしまいますよね。

 

だから、そんなに肩肘張って考えなくてもいいんです。

今、なんとか生きてるってことは、それなりに今を肯定できるってこと。

「まあまあ、よかった。楽しかった。」

と思えるのなら、過去も間違ってなかったということになります。

必然的に未来もうまくいくと思えるでしょう。

もし、今を否定してしまったら、過去も間違いということになる。

そして未来はもっと悲観的なことになってしまうでしょう。

 

ということは、今をどう感じるかで人生すべてが決まるということです!

今この瞬間、幸せだ!すばらしい!と思えば、人生はすばらしいものになる!

逆もまたしかりです。

 

だからやっぱり、後悔は必要ないのです。未来への不安も必要ないのです。

ただ、今を、「幸せだ!」と思うだけで、「これでいいのだ!」と思うだけで別世界へ行けるということです。

 

肯定するだけでいいんです。幸せだ!と叫ばなくてもいいんです。

「まあまあいいよね。」それだけでもいいんです。

もっと言えば、頭の中の思考は必要ありません。

 

よけいなことを考えず、ただ微笑む。一瞬でもいい。

この一瞬で、過去の後悔は無くなり、未来への不安は消えてしまうのです。 

 

この先もまた、つらいことがあるかも知れません。

でも、今までもそうであったように、時がくれば今この瞬間のように、ニッコリできる日が来るのです。

いや、どんな時でも微笑めばいいのです。

苦しい… つらい… でも

「そういうときもあるよ」

と微笑めばいい。

それで、過去も未来も笑顔になります。笑顔の人生になります(^o^)

 

単純すぎるけど、それもまたよし!

最後までお読み頂きありがとうございます(^_^)

 

人間関係について…出会いについて… ある日の日記より…

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ひとつの考え方だが、仕事はどれだけ人を集められるかということが大事だ。

職種にもよるが、どんな場合にも人との関わりが必要になってくる。

たとえ、全ての人に好かれなくても、人を集めたり、うまく使うことができれば、仕事ができることになる。

自分ができないことは、誰かにやってもらう…そういう人を集めれば仕事はまわる。

人を操るのも才能だ。

何かを創作できなくても、創作できる人間を集めたらいい。それができれば成り立つ。

逆に、創作できる才能があっても、それをうまく使ってくれる人がいなければ、誰の目にも触れず消えていくこともあるだろう。

 

“才能” というと「ある、ない」という優劣の意識が浮かんでくるが、そうじゃなく

“ニーズ” という考え方にしてはどうか。

「需要と供給」だ。

優劣じゃなく、多様性の中で、必要な所に必要とされる人が当てはまる… 理想な形だ。

適材適所とも言う。幸せの形であるとも言える。

そういう意味では “出会い” というのは、大切なものだ。

人間関係が、幸せを導くひとつの鍵となる。

そのためには、自分で動いてもいいし、ただ待つということでもいいだろう。

できることなら、自分の適材適所を探しながら、他人のそれにも貢献できればいい。

「僕、食べるひと。私、作るひと。」

みたいに分けることはない。

それに、人間関係が苦手でも、出会いはそれなりにあるものだ。

人間関係が得意といっても、そんなものはピンキリ。劣等意識を持つ必要はない。

「誰とでも仲良くなれます!」

「人づきあいが苦手です。」

まず、この考えに優劣を抱くことをやめないと、真実を見極めることはできない。

 

出会いというものは、見えない力が働く “ミラクル” のようなものだ。

“自然の法則” の中にあり、ある出会いが光を放つものになるのは、人間の力によるものではない。

そう考えて何か作為したところで、本当の光を放つようになるとは限らない。

それはやっぱり “ミラクル” 。

出会いが多い、人づきあいが得意だと、“ミラクル” が起こりやすいかというと、そうとも限らない。

それは人間には予測できないことだ。

だから、人間関係うんぬんより、得意不得意を論じるより、

「人との出会いはすばらしいもの」

という意識を持つだけでいい。

より多く出会えばいい…とか、確率論的思考は手放そう。

それは結局、優劣思考に基づいている。

「出会いは多いほうがいい」は

「人づきあい苦手は、不利、劣っている」

という考え方だ。

それは無しにしよう。

 

「今までのすばらしい出会いに感謝し、これからも大切にしよう。」

そう思うだけでいい。

数ではない、比べるものでもない。

感謝し、またすばらしい出会いがあるだろう… 

と、わくわくしながら生きていければいい。

 

 

取り留めのない日記でした。

最後までお読み頂きありがとうございます(^_^)

俺、友達いないけど… それもまたよし!

幸せの定義

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 ある程度の年齢を重ねると思うことがあります。

 

「私の人生、このままでいいのだろうか?

この先どうなっていくんだろう…?」

しっかり将来の計画を立てている人、それはそれでいい。

しかし、目の前の事を何とかこなして、不器用に、必死で生きてきた者にとって、ふと立ち止まって振り返り、そして将来を考えると、怖くなってくることがあります。

 

「いくつもの夢をあきらめてきた。

平凡ではあるが、いろいろな物を手に入れ、それなりに幸せな人生だった。

これから先はどうだろう?

もう先が見えてしまって、若い頃のようなわくわくする気持ちも、湧いてこない… 

絶望とまではいかないが、あきらめと不安と寂しさを感じる。」

 

こんなふうに、いったん負のスパイラルに入ってしまったら、なかなか抜け出せないもの。

不安材料はいくらでも思いつくようになります。

 

そこで考えてみた。

 

幸せな人生とは、幸せの定義とは?

 

欲しい物を手に入れること?

人に恵まれること?

お金持ちになること?

健康であること?

孤独じゃないこと?

 

それらはすべて、目に見えるもの。

でも、本当の幸せとは、見えないものなんです。

幸せの正体とは、実はフィーリング(気分)なんです。

「持っている、持ってない」や、周りの環境なんかに関係なく

「あ、楽しいな~幸せだな~。」

と感じることが、幸せそのものなんです。

 

気分が落ち込んでる時は、そんなふうにはなかなか思えないでしょう。

だから、本当に小さなことでいい、つまらないことでいい… 

「今度、あのラーメン屋行こう。あの映画、観に行こう。あのお店寄っていこう… 」とか…

楽しみにしてるテレビドラマでもいい、友達とのおしゃべりでもいい、ちょっとしたオシャレでもいい。

少なくとも嫌じゃないこと、ちょっとでも楽しみにしてること、やっていこう。

本当にに、つまらない小さなことでいい。

その時に感じるフィーリング、幸せ感、たとえ小さなものでも、その積み重ねが

幸せな人生を作り出すのです。

小さな幸せをいっぱい集めましょう。

 

幸せとは、気分です。

 

気分を作り出すのに人それぞれのクセがあります。

“小さな幸せ”を感じるクセをつけましょう。

 

これを読んで「ふん!」と思った人、

それもクセです。

何でもかんでも否定するクセ、持ってないですか?

 

人の話聞いて共感したら、「いいね!」

違う意見なら、「そう来たか!おもしろい!」

全く理解できなかったら、「なんで?なんで?」と不思議がってみたらいい。

小さな、おもしろい!楽しい!幸せ!

いくらでも転がっていますよ!

そんなふうにできれば、幸せな人生、間違いなし!

それもまたよし!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^_^)

自分の価値基準を持つ

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 春は変化の時期です。

 会社組織では、大きな人事異動があったりします。

 

そういう時期が近付づくと、他人に対してのいろいろな噂や憶測が飛び交います。

辞令が出たら出たで、またその話題で盛り上がります。

それでもいい噂ならまだいいのですが、悪い噂なら要注意です。

真実もありますが、個人的な感情だったり、単なる好き嫌いだったりもします。

第一印象が良くない人や、もともと合わない人の悪い話を聞くと

「やっぱりそうか…」と、その人のことよく知らないのに、勝手な悪いレッテルを貼ってしまいます。

 

ほんの少しの情報(悪い噂)で人を評価判断することは、本当に恐ろしいことです。

全く、害にしかなりません。心の中にマイナスのエネルギーを発生させるだけです。

そんなものに振り回されないように。

ましてや自分から悪い噂(悪いエネルギー)を広めないように。

悪口は言わす、いいことだけを言うようにしましょう。

人の悪口で盛り上がっても、本心は気持ち悪いはずです。

 

 

他人の判断ではなく、自分の価値基準を持つこと。

自分の中で「許せないもの」も当然あるでしょう。

それはそれでいい。しかし、他人はどうのこうの言うが、自分はどう感じているのか…ということを大切にすること。

特に悪いことに関しては。

その人を悪く見ると、本当にとんでもないやつに見えてきます。

逆に、いいひとだと思っていたり良い所を探そうとすると、必ず見えてきます。

別にいいひとぶってカッコつけろと言ってるわけでありません。

「いろいろな見方がある」ということに気づけ、ということです。

物事はすべてニュートラルです。いいか悪いかは見方次第、どちらにも転びます。

判断するのは後でいい。あまのじゃくでもいい。

「いや、ちょっと待てよ…」と

他人に簡単に同調するのをやめ、自分の価値基準を考えてみるだけでも、世界は違って見えてきます。直感も磨かれてきます。

 

これって、綺麗事ですか?

そう綺麗事です。

みんなで他人の悪口言ったり、偉そうに判断を下してる自分を、離れた所から見てみるがいい…。

なんて汚く見えるか…。

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^_^)

それもまたよし!あまのじゃく!

 

『PK』これぞ映画!これぞエンターテイメント!


映画『PK』日本版予告

 

インド映画の、“懐の深さ”を改めて思い知らされた!

「PK」とは、酔っ払いの意味らしい。

アーミル・カーン演じる主人公が、酔っ払いのようなトンチンカンな質問をして、神様を探す旅に出る…。

「おまえ、PK(酔っ払い)か⁈」と言われることから、「PK」と呼ばれるようになる。

これだけ書くと、なんか全然つまらなそうな話だが… とんでもない!

実はSFでもあり、ラブストーリーでもあり、笑いあり、感動あり… 

とてもとても書き切れない!

 

できるだけ、ネタバレしないように個人的感想を書きます。

 

とにかくこの映画は長い! 2時間33分あります。

途中「インターバル」という字幕が出てきて、「えっ⁈まだ半分?」

前半でもかなりのボリュームなのに…。

「そりゃそうだろう。まだ何も解決してないよ。どうなるんだろう…?」

と思っていたら、後半はすごい勢いでストーリーが流れていく。

前半での伏線もしっかり解決されて「あーやられた!」

と思わず叫んでしまうほど!

こんなに長いのに、最後は心を鷲づかみにされ、泣かされてしまう。

とんでもない映画だ!

しかも、おなかいっぱになるのに、全然苦しくなく

本当にいい気分にさせてくれる。

 

宗教ネタを扱ってるのに、日本人も受け入れやすいのは、

明るくてカラフルで無邪気な「PK」目線のせい。

子供のような純粋な気持ちで世界を見ることができる。

 

社会問題、国際情勢、いろいろな人、いろいろな国の思惑… 

解決策なんて、あるんだろうか?

平和や幸福への道なんて、本当にあるんだろうか?

問題を発生させた人間が、考えて考えて…

解決策なんて見つけられるのだろうか?

それよりも、無邪気にこの世界を見て、不思議がって、おもしろがって、

楽しむことが大切なのかもしれない。「PK」に気づかされた!

 

と言っても、全然重い映画じゃやないですよ!

これぞ映画! これぞ至極のエンターテイメントです!

 

 

世界が本当に必要なもの、

人間が求め、目指さなければならないものは、このインド映画のような

“懐の深さ” なのかもしれません。

口で言うのも、言葉にするのも、あまりにも簡単なことです。

でも真剣に求めるほどの価値はあります。

 

最後までお読みいただきありがとうございます(^_^)

 インド映画はクセになる!

それもまたよし! 

 

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『世界から猫が消えたなら』を観て…


「世界から猫が消えたなら」予告ロングver

 

これは魂としての課題なのかもしれない

魂がどこへ向かうべきなのか…

それは人間としての頭ではわからない

死を間近に感じて初めて

人生のなんてない瞬間が

かけがえのないことだと知る

 

生まれて来てくれて、ありがとう

出逢ってくれて、ありがとう

 

それだけでいいはずなのに

不器用でもいいはずなのに

後になってわかる

 

そうなんだよ

 

と、何度も何度も教えられるのに

また忘れて、日々を過ごす

その繰り返し

 

 なぜだかはわからない

目的地もわからない

でも魂には必要なことなんだろう

 

素直に受けて、涙を流して

感じるままでいたらいい

また忘れてもいい

その瞬間に思い出して

ああそうだったんだ…

それでいい

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感じ方は人それぞれです。あえて詳細は書きません。

予告編ロングバージョンでもかなり感動しました!

 ちなみに、

動物アレルギーの人、安心して下さい!

“猫好き”用の映画ではありません!

 

久々に(ToT)  それもまたよし!

最後までお読みいただき

ありがとうございます(^o^)