それもまたよし!

思いつくまま 気の向くまま のんきに綴ります

人生は順風満帆!

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自分をとりまくこの世界には、どうやら “意識”の世界と“無意識”の世界があるらしい。

“意識”とは現実の自分の思考、そして“無意識”とはその意識では認識できない言わば“魂”のようなもの。

“潜在意識”という言葉はよく聞くが、ここでは“意識”の対として“無意識”という言い方をしたい。

“意識”と“無意識”は、どちらがどちらの中にあるとか、別々にあるとかではなく、互いに影響し合ながら同時に存在している。そして、無意識は自分以外の他人とも繋がっている。そう仮定すると、「シンクロ二シティ」や「虫の知らせ」なんかも納得できる。

意識は自分自身、無意識は魂…別の言い方をすれば“本来の自分”だ。

現実の自分の目的や願望は、「幸せになること」「楽しむこと」「あれが欲しい これがしたい」だ。

しかし、本来の自分の目的は少し違う。

これも想像だが、本来の自分は、現実の自分という体を通していろいろなことを体験し、いろいろな感情を味わい楽しむことが目的なんだ。

ここで言う楽しむとは、まるで遊園地のアトラクションを楽しむように、アクション・ホラー・サスペンス映画を楽しむように、ハラハラドキドキを体験するということ。楽しいことだけじゃなく、人生の苦しみや悩みも味わうということだ。

 

「この世界の現実は、自分が作っている」とはこういうことである。

自分の行動(原因)が、現実(結果)を作っているだけではなく、自分の中の無意識(本来の自分)が、現実の世界にいろいろなアトラクションを作り出しの自分の体(意識)を通して楽しんでいる。

苦しい現実も、楽しい現実も自分自身(本来の自分と同じ)が作り出し楽しんでいるのだ。

 

禅の言葉に

『遊戯三昧』というものがある。

「なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。
または、嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと。」

まさしく、“本来の自分”の姿だ。

 

そう考えると、誰の人生も順調だということ。

「なんて幸せなんだ!」と感じる時も、

「こんなはずじゃ… 」と嘆く時も、

それでも人生は順風満帆なんだ!

誰の、どの人生も、順風満帆なんだ!

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^-^)

「自由に生きる」の本当の意味

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「自由」とは心の状態、思考のことだ。

 

何かに束縛されていても、心が自由なら、それは自由な状態だ。

「自由になりたい!」

と叫ばなくても、心の中で「自由だ!」と思えばいいのだ。

 

体の自由は、真の意味での自由ではない。

体が自由でも、心が何かに囚われていれば、それは不自由だ。

しかし、見た目がいくら不自由でも、学ぶことは自由にできる。

自由とは学ぶこと、経験すること、そして常に変化すること。

成長という意味ではなく、変化し続けるということ。

 

本当は、誰もが自由に思考や感情を選んでいる。

落ち込むのも自由。

不安になるのも自由。

わくわくするのも自由。

いい気分になるのも自由。

何も考えず、ぼんやりするのも自由なのだ。

みんな、選びたいものを選んでいるのだ。

 

そう、本当はみんな自由に生きているんだよ!(^O^)

 

それはそれとして、何がしたい?

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世間一般ではこうだけど…

今、すごい嫌な気分だけど…

とても憂鬱なんだけど…

他人がとやかく言ってるけど…

人目や他人の意見気になるけど…

 

それはそれとして、

自分はどうしたい?

それはそれとして、

今、楽しいことは?

それはそれとして…

さあ、今から何を楽しもう?

 

 

人生に一大事なんてない。

どんな可能性もある。

何が起こっても不思議じゃない。

すぐにパニックになるが、

うまくやろう…と考えても、

そんな時にうまくいく方法なんて

浮かんでこない。

開き直ってゆったりしても、

慌ててバタバタしても、

結果は、なるようにしかならない。

 

誰かのせい…原因なんて、

後からいくらでも言い訳できる。

ましてや、自分の責任なんて

本当はないのだ。

言ってしまえば、

すべて自分の責任でもあり、

まったく責任もないのだ。

 

すべては、たまたま。

それが宇宙の法則だ。

 

がんばったからこうなった…

がんばらなかったから、

ひどい目にあった…

と思いたいだけ。

答えを出して、安心したいだけ。

 

安心なんてしなくていい…

と思ってみたら、

安心も無いけど

不安も無いよ。

 

最後までお読みいただき

ありがとうございます(^-^)

“人生の流儀”

夏になると思い出すことがある。

高校生の頃か、わざわざ昼間の一番暑い時間に、近所の公園までランニングしていたのだ。

帰宅部で全く体育会系ではないのに、いろいろトレーニングしていた。

当たり前だ、若いからエネルギーが有り余っていた。

しかし、その頃の趣味はイラストを描くこと。

“アニメおたく”まではいかないが、そういう雑誌は楽しんでいた。

映画も大好きで、どんなジャンルでも観た。

特に好きなのはアクション映画。

さらにその中でカンフー映画ジャッキー・チェン全盛の時代だ。

でも、ブルース・リーファンクラブに入っていた… 変なやつ(笑)

 

大学生の頃は、バイクでツーリング三昧。

完全なアウトドア派だった。

空手道場にも通い、映画も観まくっていた。

 

怖がりだけど、何でも自分でやってみたい性分なので、その後の人生も、仕事も、いろいろと…

でも今は普通のサラリーマン(笑)

 

全てが中途半端と言えばその通りだが、何でも楽しめる性格とも言える。

悪く言えば、飽き性。

よく言えば、好奇心旺盛。

 

そう!それでいいんだ!

「ひとつのことを極める‼︎」

と聞くと、すごく良く聞こえる。

確かにいいことだか、それって結局、他人との比較になってないか?

本人がどう感じてるかの方が、大事なんだ。

ひとつのことに没頭して楽しんでいるのか、

いろいろな体験を楽しんでいるのか…。

どっちでもいいんだ。

要は、人生を楽しんでいるかどうか。

外から見て、量とか数とか、多い少ないとか、役に立ってるかどうか…なんて、

そんなものは、本人の楽しい気持ちには関係ない。

おもしろそう!やってみたい!

と思うことを、自分のペースでやればいいのだ。

それが俺の  “人生の流儀”  だ!

と胸を張ればいい。

 

ちなみに、中3の息子は

「趣味は?」と聞くと

「ゆっくりすること…」と言います(苦笑)

それもまたよし‼︎

 

大そうなタイトルなのに、

中身薄っぺらくて スンマセン!σ(^_^;)

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

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30年以上前!高校生の頃の!

 

 

ゆっくり呼吸をしよう…

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自分ができない人間だとしても、

生来の生真面目な性格から、

気持ちや考えは両方理解できると思っている。

できる人、できない人の…。

 

少なくとも、少し離れて冷静に見ることができる。

 

これでも、ずっと若い頃から公正な目で、世界を見ようとしてきた。

何でも受け入れられるはずだと考えてきた。

思ったとおりに出来なくても、大きな人間でありたいと願ってきた。

慈悲の心で人を見てきたつもりだ。

完璧じゃないけど、そう願って生きてきた。

 

だから、

本当はどうすればいいか、自然にわかるはずだと思っている。

数字や目に見えることではなく、心で感じて、どう対処したらいいかわかるはず。

 

そう、思った通りに行動すればいい。

 

他人の意見は全く関係ない。

自分はどうすればいいか… 

魂ではわかっているはず。

その通りに、自然の流れに乗るだけでいいのだ。

 

あれこれ頭で考え、ああではない、こうではない…、〜ねば  〜べき…

これでは本質を感じることは出来ない。

 

ゆったりと心の声に従うのだ。

 

さあ、ゆっくり呼吸しよう。

答は自然に出てくる。

 

最後までお読み頂き

ありがとうございます(^.^)

 

もっとナルシストになっていい!

苦手なこと、そうじゃないこと…

感じ方って本当に人それぞれなんだなと、つくづく思った。

 

そのままの自分がすばらしいものだと、頭ではわかっている。

自由に振る舞えばいいのに。

まわりの目なんか気にしなくていいのに。

 

子供の頃からずっとそうだよな。

小っ恥ずかしい…というのが本音だ。

目立ちたい願望もあるのに、恥ずかしいという気持ちもある。

 

この前、人生初のバンジージャンプをした時に、よくわかった。

ジャンプ台のはしを歩く怖さより、注目をあびて恥ずかしい!という気持ちの方が大きかった。

他は女の人ばかりだし、どういうノリをしたらいいのか…わからず、それがすごくしんどかった。

自撮り映像も、なんか恥ずかしくて見てられない。

気の利いたことも言えず…ただただ恥ずかしい。

あんなにやりたかったことなのに…

気持ちよくておもしろいはずなのに…

とにかく、小っ恥ずかしい!

 

人の目、気にしすぎ!

もっと、ナルシストになってもいい!

自分大好き!になってもいい!

俺って最高!

実は、それだけでいいのかも…

いや、それだけでいいのだ!

それだけで、人生大成功だ!

 

答はシンプル!それもまたよし!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

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軽い むち打ちになったよ(苦笑)

「真の自分」とは

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 人生は選択の連続です。

そしてその選択は、全く何の制限もなく自由です。

次に起こすアクションにしても、その時の気持ちにしても。

 

「あー あっちを選んでおけばよかった…」と後悔することもあるでしょう。

「ラッキー!」と思うこともあるでしょう。

しかし、その選択に間違いというものはありません。

どんな結果になっても、それは正解なのです。

なぜなら、心の中の奥の奥… 魂というくらいのレベルから見ると、

体験すること感じることは、全て「喜び」だからです。

ここで言う「喜び」とは、

「嬉しい、楽しい」

ということではありません。

別の言い方をすれば、それは「味わい」ということ。

魂が肉体を通して、いろいろな体験を味わいたがっているのです。

 

自分の意識では、嬉しいこと楽しいことはいいこと、

苦しいことは良くないこと… と思っていますが、

魂のレベルでは、全ての感情を味わいたがっているのです。

 

落ち込んだときに、ちょっと考えてみてください。

「あ~ 魂はこの感情を味わいたいんだろうな… 」

そう考えると、ちょっと冷静になれます。

苦しんでもいいんです。

ネガティブになってもいいんです。

魂が味わいたがっているんです。

 

どんな思考も、感情も、正しいとか間違っているとか

いうことはないのです。

今、この瞬間、魂がそれを味わおうとしている…

だから、そのままでいいのです。

 

魂、別の言い方をすれば、「本来の自分」

あるいは「真の自分」

言葉を身につける以前、知識を得るもっと以前の、

何の偏見も思い込みもない、自分の「芯」のようなもの、

それが、「真の自分」という「意識体」です。

 

この「自分」という存在は、もともとは単なる「意識体」なのです。

そう仮定すると、いろいろなことが腑に落ちます。

そして気持ちが楽になります。

 

この「真の自分」は、

あらゆる感情を味わうことが楽しみであり喜びです。

そう、だから苦しんでいいんです、悩んでいいんです。

脳天気でも、無邪気でもいいんです。

 

実は「真の自分」

全く苦しんでなんかいないのです。

全く悩んでなんかいないのです。

「味わう」ことが目的の「真の自分」にとっては、

どんな感情も、楽しい!おもしろい!嬉しい!

と同じ「喜び」だということです。

 

「真の自分」にとってこの世界は

喜びに満ちあふれているということです!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^o^)