それもまたよし!

思いつくまま 気の向くまま のんきに綴ります

才能とは“没頭力”

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「才能があるか?無いか?」の議論はバカげている。

それは、他人からの評価でしかないからだ。

人が、「あの人は才能がある」という時は、相対評価で見ている。

人より抜きん出ているということで、そういう表現をするが、

では、人より抜きん出ていることしか認められないんだろうか?

人並みでは、認められないんだろうか?

才能が無いと思われることや、人並みに出来ないことでも、

本人が嬉々としてやっているならば、それでいいのではないだろうか?

うまくいってない人を見て、

「才能ないよなぁ…」

「違うことやればいいのに…」

と言う場合があるが、

もし本人が楽しんでそれをやってるのであれば、

それは、本人に向いているということなのだ。

その時の“才能”とは“楽しむ”ということなのだ。

向いているいないに関わらず、

“物事を楽しむ”という才能なのだ。

 

仕事につながること、お金になること、

生産性がある、目に見える特別な能力…

そういう捉え方をすると、

「自分には才能が無いのだ…」

と落ち込むことになる。

才能とはもっと広い意味で捉えた方がいい。

相対的な意味だけではない。

大人になると。いろいろ余計なことを考えて、

本質が見えなくなる。

子供を見てみろ。

必死で遊んでいる。

ひたすら走っている子。

ずっと砂遊びをしている子。

絵ばっかり描いてる子。

そう、何かに集中すること、没頭することが

すばらしい才能そのものなんだ。

そこには、お金も人からの評価も必要ない。

どんなくだらないことでもいい、

楽しいと思えるものに没頭し、

それを続ける力こそ、才能そのものなんだ。

 

誰にでも備わっている能力、

“没頭力”

それが、才能だ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

人生における“壮大な実験”

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たとえ何をしでかしても、どんな失敗をしても、

常に自分を許し、認め、絶対に自分を責めない!

それを続けることで人生がどう変わっていくか…

壮大な実験をしてみよう!

 

反省する、深く考える、人を思いやる、相手の立場に立って考える… などなど、

一般的に常識や道徳と言われること、より良く生きるための考え方はいろいろある。

そんなものは、この際忘れてしまえ!

それよりももっと大事なもの…

この壮大な実験の意味を理解するために、忘れてはいけないこと…

それは、自分も他人も平等だということだ。

自分を許すのと同じように他人を許すこと。

自分を認めるのと同じように他人を認めること。

不都合や不利なことを他人のせい、または自分以外に原因があると考えている限り、何も変わらない。

自分を責めないとは、人のせいにすることではない。

それが、自尊心を持つということだ。

 

そしてこの実験の。本当の意味とは?

それは

 

“今を生きる”ということだ!

 

原因を追究しないこと。

原因や理由を追及することは、過去を見るということだ。

今、目の前のことを見ていないのだ。

目の前を見ずに時間が流れ、そして見れなかったものをまた、過去に探そうとする…

その繰り返し…

 

それを断ち切るのだ! 今を生きるのだ!

 

何があっても、自分を許す、認める、責めない、

反省なんかしない!

何としても、今を生きるのだ!

 

さあ、どうなるか? 実験のスタートだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^o^)

想像力とは?

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物事の理解力は、人によってそれぞれ。

それは、能力差ということではなく理解の仕方において。 

論理的な人。感覚的な人。自分に合ったやり方でないとうまくいかない。

耳で聞いてすぐわかる人。目で見て理解する人。文字で読んでわかる人。体全体で受け取る人。なんとなくわかってしまう人… 。

自分はどのタイプか?

それがわかると、人生は楽しいし、うまくいく。

人を指導、教育するときも相手のタイプがわかればやりやすいだろう。

人間関係においても、悩むことが少なくなるだろう。

 

ではどうやって見分けるか?

 

しかし!

そんなうまい方法は無いのだ!

 

人はもともと、自分のやり方でしか理解できない。

自分のタイプはなんとなくわかる。

しかし、相手のことは、本当のところは理解することはできないのだ。

想像することしかできないのだ。

 

わかってくれない相手に

「なぜ、わからないのだ!?」

これは想像力の欠如でしかない。

だから、想像力を働かせて、あの手この手を使うしかないのだ。

 

“想像力”と言っても、難しく考えることはない。

こうかな…? ああかな…? と考えを巡らすだけでいいのだ。

 

自分に対してもそう。

わかっているようで、よくわからないのが自分自身。

生きてる限り、試行錯誤の繰り返しでいいのだ。

 

想像力とは、特別な力ではない。

試行錯誤もりっぱな想像力だ!

 

「理解の仕方は、人それぞれ。」

それさえ忘れずに、

あれこれ思って、考えて、いろいろ試して失敗して… 

それを楽しめばいいのだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^o^)

 

人生は順風満帆!

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自分をとりまくこの世界には、どうやら “意識”の世界と“無意識”の世界があるらしい。

“意識”とは現実の自分の思考、そして“無意識”とはその意識では認識できない言わば“魂”のようなもの。

“潜在意識”という言葉はよく聞くが、ここでは“意識”の対として“無意識”という言い方をしたい。

“意識”と“無意識”は、どちらがどちらの中にあるとか、別々にあるとかではなく、互いに影響し合ながら同時に存在している。そして、無意識は自分以外の他人とも繋がっている。そう仮定すると、「シンクロ二シティ」や「虫の知らせ」なんかも納得できる。

意識は自分自身、無意識は魂…別の言い方をすれば“本来の自分”だ。

現実の自分の目的や願望は、「幸せになること」「楽しむこと」「あれが欲しい これがしたい」だ。

しかし、本来の自分の目的は少し違う。

これも想像だが、本来の自分は、現実の自分という体を通していろいろなことを体験し、いろいろな感情を味わい楽しむことが目的なんだ。

ここで言う楽しむとは、まるで遊園地のアトラクションを楽しむように、アクション・ホラー・サスペンス映画を楽しむように、ハラハラドキドキを体験するということ。楽しいことだけじゃなく、人生の苦しみや悩みも味わうということだ。

 

「この世界の現実は、自分が作っている」とはこういうことである。

自分の行動(原因)が、現実(結果)を作っているだけではなく、自分の中の無意識(本来の自分)が、現実の世界にいろいろなアトラクションを作り出しの自分の体(意識)を通して楽しんでいる。

苦しい現実も、楽しい現実も自分自身(本来の自分と同じ)が作り出し楽しんでいるのだ。

 

禅の言葉に

『遊戯三昧』というものがある。

「なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。
または、嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと。」

まさしく、“本来の自分”の姿だ。

 

そう考えると、誰の人生も順調だということ。

「なんて幸せなんだ!」と感じる時も、

「こんなはずじゃ… 」と嘆く時も、

それでも人生は順風満帆なんだ!

誰の、どの人生も、順風満帆なんだ!

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^-^)

「自由に生きる」の本当の意味

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「自由」とは心の状態、思考のことだ。

 

何かに束縛されていても、心が自由なら、それは自由な状態だ。

「自由になりたい!」

と叫ばなくても、心の中で「自由だ!」と思えばいいのだ。

 

体の自由は、真の意味での自由ではない。

体が自由でも、心が何かに囚われていれば、それは不自由だ。

しかし、見た目がいくら不自由でも、学ぶことは自由にできる。

自由とは学ぶこと、経験すること、そして常に変化すること。

成長という意味ではなく、変化し続けるということ。

 

本当は、誰もが自由に思考や感情を選んでいる。

落ち込むのも自由。

不安になるのも自由。

わくわくするのも自由。

いい気分になるのも自由。

何も考えず、ぼんやりするのも自由なのだ。

みんな、選びたいものを選んでいるのだ。

 

そう、本当はみんな自由に生きているんだよ!(^O^)

 

それはそれとして、何がしたい?

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世間一般ではこうだけど…

今、すごい嫌な気分だけど…

とても憂鬱なんだけど…

他人がとやかく言ってるけど…

人目や他人の意見気になるけど…

 

それはそれとして、

自分はどうしたい?

それはそれとして、

今、楽しいことは?

それはそれとして…

さあ、今から何を楽しもう?

 

 

人生に一大事なんてない。

どんな可能性もある。

何が起こっても不思議じゃない。

すぐにパニックになるが、

うまくやろう…と考えても、

そんな時にうまくいく方法なんて

浮かんでこない。

開き直ってゆったりしても、

慌ててバタバタしても、

結果は、なるようにしかならない。

 

誰かのせい…原因なんて、

後からいくらでも言い訳できる。

ましてや、自分の責任なんて

本当はないのだ。

言ってしまえば、

すべて自分の責任でもあり、

まったく責任もないのだ。

 

すべては、たまたま。

それが宇宙の法則だ。

 

がんばったからこうなった…

がんばらなかったから、

ひどい目にあった…

と思いたいだけ。

答えを出して、安心したいだけ。

 

安心なんてしなくていい…

と思ってみたら、

安心も無いけど

不安も無いよ。

 

最後までお読みいただき

ありがとうございます(^-^)

“人生の流儀”

夏になると思い出すことがある。

高校生の頃か、わざわざ昼間の一番暑い時間に、近所の公園までランニングしていたのだ。

帰宅部で全く体育会系ではないのに、いろいろトレーニングしていた。

当たり前だ、若いからエネルギーが有り余っていた。

しかし、その頃の趣味はイラストを描くこと。

“アニメおたく”まではいかないが、そういう雑誌は楽しんでいた。

映画も大好きで、どんなジャンルでも観た。

特に好きなのはアクション映画。

さらにその中でカンフー映画ジャッキー・チェン全盛の時代だ。

でも、ブルース・リーファンクラブに入っていた… 変なやつ(笑)

 

大学生の頃は、バイクでツーリング三昧。

完全なアウトドア派だった。

空手道場にも通い、映画も観まくっていた。

 

怖がりだけど、何でも自分でやってみたい性分なので、その後の人生も、仕事も、いろいろと…

でも今は普通のサラリーマン(笑)

 

全てが中途半端と言えばその通りだが、何でも楽しめる性格とも言える。

悪く言えば、飽き性。

よく言えば、好奇心旺盛。

 

そう!それでいいんだ!

「ひとつのことを極める‼︎」

と聞くと、すごく良く聞こえる。

確かにいいことだか、それって結局、他人との比較になってないか?

本人がどう感じてるかの方が、大事なんだ。

ひとつのことに没頭して楽しんでいるのか、

いろいろな体験を楽しんでいるのか…。

どっちでもいいんだ。

要は、人生を楽しんでいるかどうか。

外から見て、量とか数とか、多い少ないとか、役に立ってるかどうか…なんて、

そんなものは、本人の楽しい気持ちには関係ない。

おもしろそう!やってみたい!

と思うことを、自分のペースでやればいいのだ。

それが俺の  “人生の流儀”  だ!

と胸を張ればいい。

 

ちなみに、中3の息子は

「趣味は?」と聞くと

「ゆっくりすること…」と言います(苦笑)

それもまたよし‼︎

 

大そうなタイトルなのに、

中身薄っぺらくて スンマセン!σ(^_^;)

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

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30年以上前!高校生の頃の!