それもまたよし!

思いつくまま 気の向くまま のんきに綴ります

“逃げるが勝ち”

f:id:nonkini:20190822213133j:image

一度始めたことは最後までやり通さなければいけない…

逃げずに最後まで頑張らなければならない…

なんて、まさか考えてないだろうね?

本当にそれ、やらなければならないの?

逃げたらだめなの?

誰かが言ってるから?

親が言ってるから?

世間の常識?

大人の常識?

「あきらめるな!」「がんばれ!」(>_<)

 

ちょっと待って!!

 

本当は倒れる寸前じゃないのか?

壊れる寸前じゃないのか?

 

もっと自分を大切にしていいんだよ。

自分に優しくしていいんだよ。

甘やかしていいんだよ。

 

そんなに苦しいのは、その逆をしてるから。

まず、自分のことを考えていいんだよ。

 

今まで散々言われてきた。

「人に優しくしなさい」

「人の立場に立って考えなさい」

「自分に厳しく…」

いやいや…

自分を“ないがしろ”にして、その先の人生まともに歩けるわけないだろ⁉︎

 

人目が気になる…

何て言われるか…

そこは、ほんの少し勇気を出して‼︎

 

まずは自分優先‼︎

自分を大切にして、初めてまわりの人に優しくできる。

とにかく、まず自分に優しくしてみよう。

そのためには、逃げたっていいのだ!

自分を守れるのは自分だけ。

「危ない!」と思ったら、一目散に逃げるのだ!

 

最後までお読み いただきありがとうございます(^o^)

 

この世界はすべて正しい

f:id:nonkini:20190608075314p:image

この世界に正解なんて無いのかもしれない。

いや、正解はいっぱいあるんだ!

ひとつではない、ということなんだ!

あえてどうしても、正解を見つけたいとも思うのなら、その時その瞬間に感じ行動したことが、唯一の正解だと言える。

その時、それが正しいと思ったら、それはその時点での正解。

それだけは間違いない。それが真理だ。

 

悩みながらでも行動する… あるいは何もせず悩み続ける…。悩まない時は「正解は?」なんて意識しないもの。

悩んでる時は、そのことが、そのまま正しいことだと思えばいい。

悩むこと自体が正解。

だから、その結果出した答えはどれも、どんなものであっても、正しいことなんだ。

 

悩んだあげく、

出した答が間違っていた⁉︎

失敗した‼︎

嫌な目に遭った‼︎

辛い(つらい)ことは、辛い(からい)ものだと思え!

それは、人生のスパイスだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^-^)

才能とは“没頭力”

f:id:nonkini:20190408085845j:image

 

「才能があるか?無いか?」の議論はバカげている。

それは、他人からの評価でしかないからだ。

人が、「あの人は才能がある」という時は、相対評価で見ている。

人より抜きん出ているということで、そういう表現をするが、

では、人より抜きん出ていることしか認められないんだろうか?

人並みでは、認められないんだろうか?

才能が無いと思われることや、人並みに出来ないことでも、

本人が嬉々としてやっているならば、それでいいのではないだろうか?

うまくいってない人を見て、

「才能ないよなぁ…」

「違うことやればいいのに…」

と言う場合があるが、

もし本人が楽しんでそれをやってるのであれば、

それは、本人に向いているということなのだ。

その時の“才能”とは“楽しむ”ということなのだ。

向いているいないに関わらず、

“物事を楽しむ”という才能なのだ。

 

仕事につながること、お金になること、

生産性がある、目に見える特別な能力…

そういう捉え方をすると、

「自分には才能が無いのだ…」

と落ち込むことになる。

才能とはもっと広い意味で捉えた方がいい。

相対的な意味だけではない。

大人になると。いろいろ余計なことを考えて、

本質が見えなくなる。

子供を見てみろ。

必死で遊んでいる。

ひたすら走っている子。

ずっと砂遊びをしている子。

絵ばっかり描いてる子。

そう、何かに集中すること、没頭することが

すばらしい才能そのものなんだ。

そこには、お金も人からの評価も必要ない。

どんなくだらないことでもいい、

楽しいと思えるものに没頭し、

それを続ける力こそ、才能そのものなんだ。

 

誰にでも備わっている能力、

“没頭力”

それが、才能だ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^.^)

人生における“壮大な実験”

f:id:nonkini:20190311081208j:image

 

たとえ何をしでかしても、どんな失敗をしても、

常に自分を許し、認め、絶対に自分を責めない!

それを続けることで人生がどう変わっていくか…

壮大な実験をしてみよう!

 

反省する、深く考える、人を思いやる、相手の立場に立って考える… などなど、

一般的に常識や道徳と言われること、より良く生きるための考え方はいろいろある。

そんなものは、この際忘れてしまえ!

それよりももっと大事なもの…

この壮大な実験の意味を理解するために、忘れてはいけないこと…

それは、自分も他人も平等だということだ。

自分を許すのと同じように他人を許すこと。

自分を認めるのと同じように他人を認めること。

不都合や不利なことを他人のせい、または自分以外に原因があると考えている限り、何も変わらない。

自分を責めないとは、人のせいにすることではない。

それが、自尊心を持つということだ。

 

そしてこの実験の。本当の意味とは?

それは

 

“今を生きる”ということだ!

 

原因を追究しないこと。

原因や理由を追及することは、過去を見るということだ。

今、目の前のことを見ていないのだ。

目の前を見ずに時間が流れ、そして見れなかったものをまた、過去に探そうとする…

その繰り返し…

 

それを断ち切るのだ! 今を生きるのだ!

 

何があっても、自分を許す、認める、責めない、

反省なんかしない!

何としても、今を生きるのだ!

 

さあ、どうなるか? 実験のスタートだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^o^)

想像力とは?

f:id:nonkini:20190123095516j:image

物事の理解力は、人によってそれぞれ。

それは、能力差ということではなく理解の仕方において。 

論理的な人。感覚的な人。自分に合ったやり方でないとうまくいかない。

耳で聞いてすぐわかる人。目で見て理解する人。文字で読んでわかる人。体全体で受け取る人。なんとなくわかってしまう人… 。

自分はどのタイプか?

それがわかると、人生は楽しいし、うまくいく。

人を指導、教育するときも相手のタイプがわかればやりやすいだろう。

人間関係においても、悩むことが少なくなるだろう。

 

ではどうやって見分けるか?

 

しかし!

そんなうまい方法は無いのだ!

 

人はもともと、自分のやり方でしか理解できない。

自分のタイプはなんとなくわかる。

しかし、相手のことは、本当のところは理解することはできないのだ。

想像することしかできないのだ。

 

わかってくれない相手に

「なぜ、わからないのだ!?」

これは想像力の欠如でしかない。

だから、想像力を働かせて、あの手この手を使うしかないのだ。

 

“想像力”と言っても、難しく考えることはない。

こうかな…? ああかな…? と考えを巡らすだけでいいのだ。

 

自分に対してもそう。

わかっているようで、よくわからないのが自分自身。

生きてる限り、試行錯誤の繰り返しでいいのだ。

 

想像力とは、特別な力ではない。

試行錯誤もりっぱな想像力だ!

 

「理解の仕方は、人それぞれ。」

それさえ忘れずに、

あれこれ思って、考えて、いろいろ試して失敗して… 

それを楽しめばいいのだ!

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^o^)

 

人生は順風満帆!

f:id:nonkini:20190109223947j:image

自分をとりまくこの世界には、どうやら “意識”の世界と“無意識”の世界があるらしい。

“意識”とは現実の自分の思考、そして“無意識”とはその意識では認識できない言わば“魂”のようなもの。

“潜在意識”という言葉はよく聞くが、ここでは“意識”の対として“無意識”という言い方をしたい。

“意識”と“無意識”は、どちらがどちらの中にあるとか、別々にあるとかではなく、互いに影響し合ながら同時に存在している。そして、無意識は自分以外の他人とも繋がっている。そう仮定すると、「シンクロ二シティ」や「虫の知らせ」なんかも納得できる。

意識は自分自身、無意識は魂…別の言い方をすれば“本来の自分”だ。

現実の自分の目的や願望は、「幸せになること」「楽しむこと」「あれが欲しい これがしたい」だ。

しかし、本来の自分の目的は少し違う。

これも想像だが、本来の自分は、現実の自分という体を通していろいろなことを体験し、いろいろな感情を味わい楽しむことが目的なんだ。

ここで言う楽しむとは、まるで遊園地のアトラクションを楽しむように、アクション・ホラー・サスペンス映画を楽しむように、ハラハラドキドキを体験するということ。楽しいことだけじゃなく、人生の苦しみや悩みも味わうということだ。

 

「この世界の現実は、自分が作っている」とはこういうことである。

自分の行動(原因)が、現実(結果)を作っているだけではなく、自分の中の無意識(本来の自分)が、現実の世界にいろいろなアトラクションを作り出しの自分の体(意識)を通して楽しんでいる。

苦しい現実も、楽しい現実も自分自身(本来の自分と同じ)が作り出し楽しんでいるのだ。

 

禅の言葉に

『遊戯三昧』というものがある。

「なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。
または、嫌なことでも、やることそのものを楽しむこと。」

まさしく、“本来の自分”の姿だ。

 

そう考えると、誰の人生も順調だということ。

「なんて幸せなんだ!」と感じる時も、

「こんなはずじゃ… 」と嘆く時も、

それでも人生は順風満帆なんだ!

誰の、どの人生も、順風満帆なんだ!

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます(^-^)

「自由に生きる」の本当の意味

f:id:nonkini:20181222092710j:image

 

「自由」とは心の状態、思考のことだ。

 

何かに束縛されていても、心が自由なら、それは自由な状態だ。

「自由になりたい!」

と叫ばなくても、心の中で「自由だ!」と思えばいいのだ。

 

体の自由は、真の意味での自由ではない。

体が自由でも、心が何かに囚われていれば、それは不自由だ。

しかし、見た目がいくら不自由でも、学ぶことは自由にできる。

自由とは学ぶこと、経験すること、そして常に変化すること。

成長という意味ではなく、変化し続けるということ。

 

本当は、誰もが自由に思考や感情を選んでいる。

落ち込むのも自由。

不安になるのも自由。

わくわくするのも自由。

いい気分になるのも自由。

何も考えず、ぼんやりするのも自由なのだ。

みんな、選びたいものを選んでいるのだ。

 

そう、本当はみんな自由に生きているんだよ!(^O^)